まだコロナ感染症の感染者の全数把握の見直しについて議論されているようですが、この全数把握の数字、これまで教会の会堂で集まっての礼拝を行っても良いかどうかの状況を考える材料のひとつにしていました。この見直しが正確な判断に結び付くものなら良いのですが、基準になることですから、あまり見解が変更され過ぎると、サッカーのゴールの位置をずらされているような気がして、自衛手段を取らなければならない立場としては心配になってきます。
イエス様、実はその弟子たちをそう簡単にはお褒めにめになりません。その理由を味わいつつ、わたしたちの信仰の核心に関わる事柄について考えてみたいと思います。
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