イエス様との出会い、これが信仰の歩みの開始になります。その人格的な出会いは、普段からわたしたちが聞いていつつも知らん顔してしまっている神様の御声を聞くことを、わたしたちに意識させるようになります。
ですが、その出会いの際、わたしたちは狼狽してしまいます。あついお風呂に浸かっているとき、冷たい湯気が天井からポトリと背中に落ちてきて、ひやりとするような狼狽とでも言ったようなものです。。
そのような狼狽から、神様の祝福に与る希望へと、わたしたちの意識は切り替えられていくことになります。
このホームページの「礼拝説教より」からご覧ください。
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